2009年1月9日金曜日

change the world

「世界を変えたいんだ」
少年は小さな声で、しかしはっきりと、そう言った。
彼は僕の隣に座り、少しうつむいて地面を見ているように見えた。
僕は聞いた。
「どんな風に?」
「それは……」
少年は一度跳ねるように顔を上げたものの、言葉を探りあぐねたのか、また元の姿勢に戻ってしまった。
少年はそのまま深い沈黙の泉に身を沈め、目の前の虚空に潜む無限の奥行きに視線を向けた。
少年はしばらくそのまま固まってしまった。
僕は試しに少年の目の前に手をかざしてひらひらと振ってみたが、彼は彫像のようにその場に固定され、動く自由を放棄してしまったかのように一ミリも反応しなかった。
話の流れから考えれば、彼は今、適切な言葉を探し出そうとしているのだろう。
自分がどういう風に世界を変えたいのかについて。
あるいはその動機について。
はたまた生まれ変わった後の世界の価値について。
僕は待った。
彫像と化した少年は、そのまま長いあいだ沈黙を保った。
その間、二匹の蠅と一匹の蝶が彼の頭や肩に止まり、しばらくすると飛び去った。穏やかな風が彼の前髪を揺らし、雲の作る陰が何度か太陽の光を遮った。
日差しは非常に強く、刺すような痛みすら感じたが、少年は全く汗をかかなかった。僕は暑さにじっとしている事ができず、何度か手で首筋や顔を扇ぎ、少年に対しても同じようにしてみたのだが、少年は涼しい顔を崩さなかった。いや、それは涼しいというよりも、冷気すら感じさせる表情だった。ここに自分が居る事も、世界が存在している事も、今の彼にとってはまるで意味をなさない事のように見えた。
彼は遠い遠い異次元の世界に旅立ったまま、なかなか戻って来なかった。
凶暴なスズメバチが飛んで来て、僕が慌てふためいてその場を離れた時も、彼は微動だにしなかった。
やがて何度目かの風が彼のまつげに触れた頃、彼ははたはたと数回瞬きをして、この世界に帰って来た。
彼は無言のままに空を見上げ、深いため息をついた。長い長いため息だった。肺の中にあるものをすべて出し切ろうとしているかのようなため息だった。
「やあ」
と僕が声をかけると、少年はさわやかな微笑みを浮かべて僕を見た。それは知人の存在に気づいたというよりは、見慣れた風景を見ているような顔だった。
「大丈夫かい?」
と僕が聞くと、
「はい」
と少年は答えた。
「久しぶり、という感じがするよ」
と僕は少年に言った。本当にそう思ったからだ。
「すみません。物思いに沈んでしまって」
「いいさ」
「たまにあるんです。こういう事が。周りが見えなくなって、ひたすら自分の内面に入り込んでしまうんだ」
「何を考えていたの?」
「それが……思い出せない」
「思い出せない?」
「そう。何も思い出せない」
「君が変えるべき世界について考えていたのではないのかい?」
「そう。そのはずだった。でも……途中から僕はどこかへ行ってしまった」
「どこへ行っていたのか分からないのかい?」
少年はゆっくりと僕を見上げた。
「分からないんですよ。それが分かれば、僕はもう少し楽に生きていけるという気がするんだけれど」
僕はしばらく間を置いて彼の横顔を眺めていた。それは、そのまま消えてしまいそうなほど透明な雰囲気を宿していた。
「世界の事はいいのかい?」
僕は聞いた。
「もちろん、変えますよ」
少年は、何でもない事のようにそう答えた。


陽が暮れかけていた。
僕らはお互いに沈黙を守りながら、水平線の彼方に埋没していくオレンジ色の球体を見守っていた。
渡り鳥の小さな群れが視界を横切り、甲高い鳴き声を上げた。
遠くで女の人の声が響いた。どうやら家に戻らない子供を捜しているようだ。その声に応じるように、どこかで犬が吠えた。それに反応してまた別の犬が別の場所で吠えた。
海岸線を走っていた車がエンジンの音を残し、岬の向こうに消えた。
「帰らなきゃ」
少年が言った。
また子供を呼ぶ女の声が聞こえた。
「あれ、母なんです」
少年はそう言って大人びた仕草をした。しかし、その一連の動作は、僕にはかえって彼が本来持っているあどけなさを浮き彫りにしたように思えた。
少年が行ってしまった後も、僕はしばらくその場所に残って、そう遠くない未来に成長した少年が変えていく世界の事を思った。



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