足元に転がっていた空き缶がふと目に止まり、何とは無しに、僕はそれを蹴飛ばした。
郊外の巨大なベッドタウンの一角を占める公団住宅の、棟の間をくねくねと延びる歩道。多くの人が寝静まる時間。空き缶はからんころんと音をたて、右に左に跳ねながら、僕の進むルートの先に空虚な音を立てながら転がって止まった。
その音はあまりにも懐かしく、遠い遠い時間の向こう側の風景を僕に思い起こさせた。
あの時となりに居た少年は誰だっただろう?
名前は?
住んでいた場所は?
同じクラスに居たっけ?
それが悲しい事なのか、そうでないかはともかくとして、僕は何も思い出せなかった。ただ、そこに少年が居た事だけが思い出された。
僕はもう一度空き缶を蹴った。
少年が甲高い声で空き缶を追いかける。
僕もそれに続く。
何も求めない、勝ち負けの無い追想劇。
僕らは空き缶がどんな風に転がっていくか、どんな方向に飛んでいくか、ただそれだけを楽しんでいたのだ。
走り回る僕らの背中では、ランドセルの中身ががさごそと揺れ動き、筆箱の中の鉛筆や消しゴム、教科書やノートがそれぞれに固有の音を鳴らした。
太陽は遥か上空で人知れず輝き、僕らはその存在にすら気付かない。
近所のとある家の塀の内側で吠える犬。電柱の上に止まったままの烏。ひとつ向こうの通りで時折過ぎ去ってゆく車のエンジン音。
そんな全てが、ひとつの調和された世界を成立させていた。
風景は完璧なまでに思い出された。
しかし少年の姿はぼんやりと霞みに包まれ、そこだけが激しくピントのずれた写真のようになってしまう。
やがて放課後の情景は薄れ、僕はまたベッドタウンの中に戻る。
月のない夜。
足元にあったはずの空き缶はどこへ蹴飛ばしてしまったものか、見回してもどこにも見つからなかった。
耳の奥で、アスファルトを叩く薄っぺらい金属の音が響いて、僕はまた自分の部屋に向かって歩き出した。
2 件のコメント:
日常の隙間に些細なきっかけで生じる精神のタイムスリップ。最後に空き缶が消えてしまうのが象徴的で上手いなと思いました。
アレさん、コメントありがとうございます。
レスが遅くてすみません。。。
人通りの無くなった夜の道には、いつもは意識の上に浮かんで来ないけれど、自分の頭の中にあるもの、がふと表に出て来てしまうのかなあと思いながらキーを打つ手を進めてました。
またよろしくお願いしますm(__)m
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