2008年1月16日水曜日

テレビがやって来た

 タカシが友人のユキノブから譲り受けたテレビのリモコンは、どれだけ使い込まれたものか、ラベルに書かれていたはずの「電源」とか「音量」などといった表記がことごとくすり減って読めなくなっていた。おかげで一つ一つのボタンがどのような役割を演じるためのものなのか、初めのうちはいちいち確かめながら使う事になった。大体は電源とチャンネルと音量が分かればテレビとしての用は足せるので、しばらくすると大して困らなくはなったが、滅多に使う機会のないボタンなどは時間が経つとそれがなんのためのボタンだったかすぐに分からなくなってしまう。
 製造過程の途中で誤って出荷されてしまったような、つるりとしたのっぺらぼうのボタンのついた手のひらサイズの箱。
「一応隅から隅まできれいに洗っといたから」
 ユキノブがそう言ったとき、タカシは公園の水場でユキノブがじゃぶじゃぶとテレビとリモコンを水洗いしている姿を想像してしまった。彼が以前同じように自転車を洗っていたのを見ていたので、その記憶とユキノブのセリフが一緒くたになってそんな事を考えてしまったのだろう。
 ユキノブは金がないくせに金遣いが荒い。しょっちゅう競馬で大損しているくせに、たまに馬券を当てると我が世の天下とばかりに一瞬にして配当金を使い果たしてしまう。
 そんな調子のユキノブが過去にいくつも例がないほどの高額の万馬券を当ててしまったものだから、彼の有頂天ぶりは親しい人間からすればハラハラせずにはいられないほど目も当てられないものになった。
 困ったヤツだが、そんな彼のおかげでタカシの部屋にもようやくテレビが設置されたのだ。ユキノブは配当金の一部で勢い余って47インチの特大液晶テレビを購入し、それまで使っていたものを代わりにタカシに譲った。
 たまに部屋に遊びにくる妹のリンは兄の部屋に突如現れたテレビを見て、
「ようやく現代と言う時代に追いついたね」
 と言い、タカシの恋人のサユキは思わず目に涙をためた。
「そんなに大袈裟な事じゃないだろ」とタカシが言うと、
「何言ってるの? 文化と文明の象徴を、あなたはやっと今手にしたのよ」
 と言って、感極まったという風にタカシにキスをした。その唇を受けながらも、じゃあ今までどんな風に俺を見ていたんだとタカシは思わずにはいられなかったが、まあ喜んでくれているには違いないのだ。まあよしとする所だ。
 そんなふうにタカシに関わる人間たちが言う言葉ほどには彼は貧しかった訳ではない。当人は別にテレビがあろうがなかろうがあまり気にならない質で、暇な時にはラジオでも流しながら本を読んでいれば別にそれで気にならない。だから別にテレビが貰えた所で逆に何がそんなに変わるのか分からないと思っていた。
 しかしタカシ本人はともかく、周りはその変化を放っておかなかった。
 サユキは毎日のようにタカシの部屋に来るようになった。タカシが外から帰ってきたりすると先にサユキが家に居てテレビの前で座り込んでいる。以前から合鍵は渡していたので出入りは自由だったはずなのに、そんな事はそれまで無かったのだ。まるでテレビを見るためだけに部屋に来ているのではないかとタカシは思ってサユキにそう聞いてみると、
「だって、タカシ君も居ない、テレビも無い部屋でどうやって時間をつぶせばいいの? つまらないじゃない」
 と一蹴された。まあ、サユキがしょっちゅう来る分にはタカシにはそれで良かった。何せ恋人と一緒にいる時間がそれだけ長くなれるのだから、いいじゃないかと思っていたら、今度はユキノブが部屋に来るようになった。
「なんでお前までくるんだ」とタカシが聞くと、
「いやあ、うっかり金使い過ぎて引っ越す予定が予算が足りなくなってさ。あの47型、俺の部屋じゃでかすぎるんだよ。もともと俺のテレビだし、見に来るぐらい良いだろ? 彼女との邪魔はしないからさ」
 とユキノブは答えた。
 どこまで計画性の無いヤツなんだとタカシは呆れたけれど、せっかくだからリモコンの分からない所を聞いてしまおうと思って、ついついユキノブが来るのを許していた。
 ある日タカシがバイトから帰ってくると、ユキノブとサユキが二人で並んでテレビを見ていて何だか楽しそうにしていた。あまりに楽しそうで、じゃれ合っているようにも見えた。
「……ただいま」
「おかえりー」
「おう、おかえり」
「何してるの?」
「いや、この番組、面白いんだよ。タカシも見ろよ」
「俺はいいよ、別に」
「タカシ君は本しか読まないのよ」
「えー、なんだよ、つまらないな」
「でしょー、なんとか言ってやってよ」
「……」
 おまえら、いい加減にしろよ。別にテレビなんか欲しくねえんだぞ俺は。そう言いかけたとき、玄関が開いてリンが入ってきた。
「あーみんな居るじゃん、私も混ぜてよ」
 リンはタカシには目もくれず、サユキとユキノブの間に入って、それで今度は三人でテレビの前で騒ぎ始めた。
 もういいや、ほっとこう。タカシはそう思って読みかけの小説を開いたが、テレビの音と三人の騒ぐ声でどうにも話に集中できない。
 こんな事がもう何日も続いて、明日にでもこのテレビを捨ててしまおうと思いながら、先延ばしになっている今日この頃のタカシなのである。


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2 件のコメント:

tora さんのコメント...

個人的に結構好きな文章です。
今後も楽しみにしてますよ~。

cokoly さんのコメント...

>toraさん
ありがとうございます。精進します〜。