そんな訳で神保町の翌日には田端へ行った。前日の勢いが続いている。(しかしさらにその翌日、派手に扁桃腺を腫らして寝込むことになる)
そんな訳とはどんな訳だ?
というようなことはあまりにも使い古されてもはや化石化してしまいそうな台詞ではあるが、敢えてこの自問自答の結論を下してみれば、「文士村」という単語に惹かれてしまったからだ。
そう。かつては文士村と呼ばれた土地、田端。
芥川龍之介が住んでいた街。
そんなところに住んでみたいかもしれないと思い立ち、電車を乗り継ぎ行ってみた訳だが、これがまあ何と言うか何ともしんみりとした町だった。
駅を出てすぐに文士村記念館なるものがあったりはするのだが、想像していた芥川邸跡みたいな古めかしい建物なんてどこにも無く、そうであったという場所にはその辺の街角にいくらでも見られるようなマンションがデデデンとあるばかりで、風情も趣も跡形も無い。
どうやら全部戦争で焼けたのだということらしい。
そう聞いてそりゃ仕方がないと思えれば良いのだが、偽物でもレプリカでも何でもいいから土地を保存して家屋を再現すりゃいいじゃねえかと、憤慨。頼むぜ北区。
文士村記念館で手に入れたガイドマップを片手にしばらく歩いたものの、脇道裏道好きが高じてすぐさま道に迷う。意外に緑がある。ここはどこだ。
手に入れた驚きと言えば、山手線の駅にこんな寂れた場所が存在するということか。
物件は悪くない。
しかし地味だ。
神保町は近い。
やたら坂が多い。
前日からの歩きづめでもうめっぽう足が痛くなって、大手町へ向かった。
天野喜孝の展示会に行くためだ。もう帰りたい。
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