怒りのパワーは持続しない。
これは僕の話だ。
もちろん、僕だって怒りに燃える事はある。腹の立つ事が少しづつ蓄積して、やがて爆発を迎えたり、仁義的、或いは人道的道徳に反する輩の行動を見て瞬間的に血が沸騰してしまったり。
しかし、その炎は一度、バババドカーっと燃えてしまうと、すぐに消えてしまって、長続きしない。だからどうだと言われると、まあそれだけの話なのだが、僕は時々あの爆発的なパワーの事が気になって仕方なくなるのだ。
なぜ、あの力はすぐに消えてしまうのだろう?
僕の友人にはしょっちゅう怒っている奴がいて、そいつの放つエネルギーは常に周囲の人間を圧倒している。良い意味でも、悪い意味でも。そいつの唯一の欠点は、良い意味の時と悪い意味の時が半々ぐらいになってしまう事だろうか。とにかく怒りに容赦がないのだ。
怒りの全く持続しない僕にとっては、奴の存在は憧れの対象になる事がある。もちろん良い意味の時だけの事だが。
「お前は何だってそんなにいつも怒ってばかり居られるんだ?」
と僕は奴に聞いた。
「何でって、腹立つもんはしょうがないじゃん」
と奴は言った。
「俺から見たら、怒らなくても良さそうな所で激怒してる事あるからさあ」
「そんなの選べるぐらいなら初めっから怒りゃしないよ。むかつくもんは、むかつくの」
「でもさあ、お前、一度怒ったらずーっと怒ってるじゃん。お前を怒らせた事とぜんぜん関係ない奴とかにも怒りのパワーぶつけたりする事あるじゃん。あれ、やめたほうがいいよ」
「あれは……ちょっと勢いついちゃってんのよ。コントロール効かなくてさ。スピード出し過ぎた車は急には止まれないだろ? あれと同じ。悪いとは思うし、自分でも反省とかするんだぞ、一応」
「その反省、生かされてないだろ」
奴は一瞬、言葉に詰まった後、
「後悔先に立たず」
と言った。
「お前なあ……」
「そして後悔後を絶たず」
「……」
これなのだ。全く敵いやしない。
「まあまあ、ごちゃごちゃ考えててもしょうがないだろ。なるもんはなるようになるんだから」
こんな風に奴と話していると、何故自分の怒りが持続しないのか、分かったような気にもなる。でもしばらくするとやはり疑問がわいてくる。
奴と僕との違いは何なのだろう?
それ一体どこから始まって、どんな道をたどって今のようになってしまったのだろう?
僕はそんな事を延々と考えて、楽しんだりしているのだが、のんきなものだと自分でも思う。
怒りじゃないパワーが僕にはあるのかもしれないけれど、まあ、まだよく分かんないね。
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