ハイエナの嗅覚は優れていた。
だから、街を出ようとする一匹の羊を見つけた時、ハイエナは不思議とムズムズし始めた自分の鼻を信じた。
(あいつ、怪しいんじゃねえの?)
言葉にすれば、そんな感覚。
しかし、それはただの感覚であっても、絶対的に正しい。
言葉にすれば、そんな感覚。
しかし、それはただの感覚であっても、絶対的に正しい。
かつて狂犬が街を去ったとき、そこには完璧だった力の空白=秩序の崩壊が残った。
ハイエナにとってそれはチャンスだった。そして彼はそれを確実にものにした。己の卑劣な知性と、物事を見極める抜群の嗅覚がハイエナの武器だった。
ハイエナは、嘘と、罠を、自分が必要なときに正しいタイミングで自在に操り、ライバルを貶め、他人を犠牲にして今の地位を築いてきたのだ。
危ない橋を渡ってクスリを売りさばき、金も手にした。ついでにその二つを使って、いくらでも自分の言うことを聞く手下を何人も侍らせるようにもなった。
自分は狂犬とは違うやり方で同じ力を手にしたのだ。
そう言う自負が、ハイエナを支えている。
そして。
ハイエナは興奮していたのだろう。
いつもの彼ならまず手下を使って様子を見て、それから必要な手段を考え、慎重に実行に移す。そして動き出したら一切の躊躇はしない。
しかし、彼はすでに歩き出していた。そして、やたら体格のいい羊の背後に素早く音も立てずに忍び寄り、声を掛けた。
「そこのあんたよう、あんた、ただの羊じゃねえよなあ」
羊は、余裕のあるゆったりとした歩みを止めずに、ちらりとハイエナの方を見ただけで、
「俺はただの羊」
と言った。
「そんなわけねえんじゃねえの? 羊はそんなガタイしてねえんじゃねえの?」
「ガタイのいい羊もいるさ」
「そうかなあ。俺にはそうは思えねえなあ」
ハイエナは、自分より背の高い羊の横に並んで歩き出した。体の真ん中で心臓がバタバタと暴れ出したみたいに、激しい動悸が脈打っていた。
トリップの入り口みたいだ。素面なのに、キまってきやがった。やべえな。最高だ。
ハイエナの唇の端が邪悪な形につり上がり、目尻は鋭角なまでに尖り始めた。
「まあいいや、羊さん。聞いてくれよ。昔、俺の街に一匹の狂犬が居たんだ。俺はそいつに憧れてた。憧れすぎてヤラレちゃってもいいと思ったぐらいよ。へへ、ヒッ。強くてなあ、とことん強かったよ。残忍で、容赦がなかった。誰に対しても。俺は今そいつを追いかけてるんだ。羊さん、あんた、何かしらねえかい?」
「羊はあまりものを考えるのが得意ではない。記憶力も悪い」
「そうなのかい? 知らなかったなあ。ほんとうか?」
羊は、自分の体を覆う羊の皮をぎゅっと内側に引き締めた。
「でもよう、羊ってのは、群れの中にいるもんじゃあねえの? あんた、見たところひとりぼっちだけど?」
「孤独な羊もいるさ」
「へへ、そうか。面白えな。うん。あんた、面白れえ羊だ。なあ?」
「俺は至って普通だ」
「そうか、まあ聞いてくれよ。俺は今、ウサギを飼ってるんだ。かわいいウサギでなあ? 昔、狂犬のやつに惚れてたウサギさんだったんだが、クスリ漬けにして、俺のものにしたんだ。何でも言うことをキクんだぜ? 俺の言うことは何でもキク。へへへ。どう思う? 羊さん? 羨ましくねえか?」
羊は、ウサギさんの流した涙を思い出していた。
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