どうせ自分を変えるなら、『女豹』が良い、と太めのウサギが言い出したとき、番犬は「そりゃいいや」と笑っていたが、その発言がどうやら本気らしいと分かってくると、番犬はしだいに不平を言い出した。イメージと違いすぎる、と言うのである。
「アタシに言わせれば、カモシカの方がよっぽど遠いわよ。アンタ、カモシカって見たことある? 実物はかなりもっさりした雰囲気醸し出してる生き物なのよ」
と、自称女豹が言うと、
「いやー、でもなあ、女豹ってのはなあ……ちょっとイメージが違うんだよなあ……いわゆるひとつのセックスシンボルって言うか、その、ちょっと……イメージがなあ」
「なによ。やっぱりアタシのことただのデブだって思ってるんでしょう。ねえ、羊さん。羊さんでいいのよね? アタシが女豹と名乗ったって別におかしくは無いわよねえ?」
「……あまり肉食獣には見えんがな」
「あらそう? これでも毎日牙を磨いているんだけど……そんなにおとなしく見えるかしら?」
「いやー、何でもいいけど他の動物考えようよ」
番犬は特別なこだわりがあるのか、この件に関しては執拗なまでに抵抗した。今のところ自称の女豹と番犬の不毛な言い合いに決着が付くような兆しは何もなかった。
話を少しさかのぼる。
羊が捕えられていた館から脱出したあと、ウサギの腕を後ろ手にひねり上げている番犬に向かって、羊は
「手を放してやれ」
と言った。
番犬は、
「いいのかい?」
と言ったが、特に抗議するわけでもなく、女の手を自由にした。
女はそれでも体全身で戒めをふりほどくようにして、番犬と距離を取ると、自分の左右にいる二人の男を交互に見て、外に出るなりさっそく羊の皮を被った男に向かって言った。
「どういうつもり?」
「飯の礼だ。それに、頼みがある」
「嫌だと言ったら?」
「困るが仕方ない。でもとりあえず聞いてくれ。俺が世話になったもう一匹のウサギのことについて知りたいんだ。あいつは今どこにいる?」
「知らないわ。知ってても教えないし」
「ハイエナはあいつに罰を与えると言っていた。あいつはどんな目に遭っている?」
「だから、知らないって」
「俺たちに脅されたということにすればいい。場所だけでもいい」
「ちょっと、人の話、聞いてる?」
「聞いているが、聞けない。それに、教えてくれなければ、解放してやることも出来ない」
「へえ。場所を教えたら、アタシをすぐに放してくれるの?」
「正直に言うと時間は稼ぎたい。今すぐにとは言えないが、約束する」
ウサギは羊となった男の顔を、しばらくじっと見ていた。
「こだわるわね。そのウサギさんに惚れちゃったの?」
「……あいつは俺の目の前で泣いた。だから、あいつが苦しんでいるのなら、俺はあいつを助けてやりたい。それだけだ」
「ご立派ね」
ウサギはなおも男の顔を見ていた。しかし、その視線はずるずると男の目の中に吸い込まれていく。
羊の皮の奥で光る、野生の目。
「似合わないわねえ、その格好」
ウサギはそういって、男の提案を承諾したのだった。
「アタシもよくは知らないのよ。ただ、いろいろ聞いてた話を総合すると、場所は間違いなくあそこだと思うのよね」
ふくよかなウサギはつやのいい頬に人差し指をあてながら、頭の中の情報を整理しているようだ。
「場所が分かればいいさ。……しかし、女豹というのはなんだか呼びにくいな」
「もう、いいわよ、それ。アタシじゃなくて、あなたの愛しのウサギさんに呼び方を変えてもらったらどう? 丘の空気におぼれかけてる人魚姫ってあたりでいいんじゃない」
「それはちょっと設定に無理があるんじゃねえかい?」
「アンタは黙ってなさいよ」
呼び名の問題に関してはなかなか決着が付きそうになかった。
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