2008年11月5日水曜日

名も無き動物たち.6


 気がつくと、男が纏っていた羊の皮は剥がされていた。

 目が覚めたのは暗く、じめじめと空気の湿った場所だった。男はそこが井戸の底なのではないかと思った。壁はごつごつと不均等な表面をしていて、天井がやたらに高いところにある。
 手足が鎖につながれている。手首と足首にそれぞれ分厚い金属の輪が嵌められていて、動かすと重苦しい響きのじゃらりと言う音が鳴った。たぶん鉄なのだろう。
 鎖は左右それぞれの手足の輪同士で繋がっていて、右の鎖と左の鎖が手足の間で螺旋状に絡まって解けないようになっていた。
 手足の自由を取り戻すには、両手足に架せられた鉄の輪から鎖を外すか、鉄の輪そのものを解除するしかないようだ。

 意識がはっきりしてくると、体がしびれていて、思うように動かせないことに気付く。
 自分は何故こんな事になっているのかと、記憶をたどってみるが、ハイエナに食らいつこうとしたところから何もかもがぶつ切りになっていて、思い出せない。手足だけでなく、思考の流れもままならないようだ。
 澱みつつ流れていく意識の中で、男は罠にはまったことを悟った。
 ウサギの言葉が正しかったのだ。


 自分が今いる場所が井戸の底などではないということは、すぐに分かった。
 天井に向かって聳え立つ壁のずっと高い位置に格子が嵌められた窓があり、そこから光が漏れ込んでいたし、よく目をこらして観察してみると、ひとつの壁と反対側の壁の間にはいくらかの距離があり、最初の印象よりはずっと広く感じられる空間だった。手足を伸ばすと、体の上下で指先が軽く壁に触れた。鎖自体にも、そうやって体を伸ばせるぐらいの長さがあった。
 ぐるりと体を転がして反対側に体を向けると、目の前に扉があった。

 現状から察するに、強い麻酔か何かを打たれたのだろう。
 その上であちこちを痛めつけられたに違いない。体の痺れが薄れてくると、入れ替わりに体中から痛みが襲ってきた。四肢、腹部、顔に至るまで全身のあらゆる所が殴られるか蹴られるか、或いは何かの道具で打ち付けられたものと思われる。痛みは体の奥から不快な波動を送ってきて、痛みだすたびに頭に響いた。
(まいったな)
 というのが男の感想だった。
 あまりにも見事に相手の策略にはまったことに、自分がそこまで迂闊だったのかと思い知らされる思いだった。あきれてものが言えない、というところだが、自業自得を嘆くときは既に時すでに遅しというのが常套だ。
 だが、男にとって過ぎた事を悔やむというのはまるで辞書にない言葉だった。
 自分の手足に架せられたものが、どうやら独力で外すのは難しいと判断したときから、無駄に体力を使うべきではない、と決めた。
 壁を上るのも現実的ではない。
 ならば、待つべきだ。
 羊でも、狂犬でもない男は、ハイエナがいずれ現れるものと予想して、床に横になったまま、目の前のドアをじっと睨みつけた。
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