2008年11月6日木曜日

名も無き動物たち.7

 ドアを開けて入ってきたのは、男の期待に反して初めて見る相手だった。

 背が低く、肉付きのいい女で、小太りといっても差し支えない体型だが、身のこなしには重苦しい所作は感じられなかった。
 彼女は、男に食事を運んできたのだ。女は食パン一枚とグラス一杯の水をのせた盆を男の目の前に置いて、自分は入り口のドアの近くの壁に背中をつけて座った。
 顔つきを見る限りでは性格のおとなしそうな、全体的に柔らかい雰囲気を感じさせる女だった。
 女は、自分をウサギだと言った。
「お前もウサギか」
 男は言った。
「そうよ。他のウサギさんに会った事があるの?」
 小太りのウサギは答えた。
「ああ。会った」
「どんなひとだった?」
 男は、自分に「逃げろ」といった、スタイルのいいウサギの事を思い出した。
「……泣いていた」
「ふうん。たぶん、優しいウサギさんだったんだね」
「なぜわかる?」
「あなたを見ていてそう思ったのよ。あなた、怖い犬だって聞いてたけど、聞いてた話とはずいぶん違うわね」
「そうか? お前は同じウサギでもずいぶん雰囲気が違うな」
「ウサギにも色々いるのよ。会った事はないんだけどね。どっちにしろ、ハイエナにとっては同じみたいだけど。でもあいつおかしいのよ。ウサギ同士が、絶対に顔を合わせる事がないようにものすごく気を遣ってるの。態度はでかいし、偉そうにしてるくせに、そういうとこものすごく神経質なのよ。変じゃない?」
「ふん、あいつらしいな」
「他には?」
「他?」
「他のウサギさん。会った?」
「そんなにたくさんウサギがいるのか?」
「そうみたい。ねえ、会った事ある?」
「いや、他は知らない」
「そうかあ、残念。……まあ、いいけどね。食べないの?」
「ああ…」
 男は一瞬躊躇したが、小太りのウサギの顔を見ていると、一服盛られるのではないかという懸念が不思議と薄れてしまった。

「わからないな」
 パンを飲み込み、水を飲み干した後で、男は言った。
「何が?」小太りのウサギは聞き返した。
「お前のようなウサギが、なぜハイエナのところにいるんだ? 俺には、不自然に思えるが」
「ウサギにも色々いるのよ」
 と、小太りのウサギはさっきと同じ調子で言った。
「ふうむ。ちっともわからん」
 男は考えてみようとしたが全く考えが進まなかったので、そう言った。
「あなた、ひとの心には疎そうね」
「そうか?」
「じゃあ、聞くけど、あなたは何者? 怒りに狂った犬? 争いを好まない羊さん? 私にはどちらにも見えないけれど」
「なんでもいいさ。俺としては鳥になってみたいんだが」
「なにそれ。ぜんぜん似合わない」
 小太りのウサギはそう言うと腰を上げて食べ物が空になった盆を手に取り、「もう行かなきゃ。また来るわ」と言って部屋を出て行った。
 ウサギがいなくなると、男は、自分の手足が鎖でつながれていた事を、思い出した。
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