燃えさかる炎の中に、その顔は浮かんでいた。
目尻や額や口の周りにに深いしわが何本も刻まれ、髪の毛がすっかりと禿げ上がった老人の顔。
目は閉じているのか、薄く開かれているのか分からない。が、その口元は何かを語ろうとしていた。唇の動きから、それが何かの言葉の連なりである事を思わせるのだけれど、声が全く聞こえてこない。
やがてその顔がすうっとまっすぐ空中に浮き上がり、首から下の体が現れた。老人はかなりの長身で、幼かった僕が彼の顔を見るにはずっと上を見上げなければならなかった。
老人の背後で炎に巻かれて元の組成を失ったカーテンが床に焼け落ち、火の粉が舞った。火の粉は老人の周りを囲むようにして広がり、その広がりとともに日に焼けたような肌の色の小人が一度に何十人も現れ、老人の周りをくるくると動きながら踊り始めた。
僕はその光景に魅入られていた。自分の家がどういう訳か激しい火災に飲み込まれているという状況も忘れ、老人の顔から目が離せなくなっていた。
炎の勢いが激しくなるにつれ、老人の語る言葉が少しずつ理解できて行くような気がしていたのだ。
それが、幼い頃焼け落ちた家の中で僕が最後に見た光景だった。
僕は助け出されたのだ。決死の覚悟で飛び込んで来た消防隊員が僕をその場から連れ去り、僕は命を取り留めた。
その後、僕がその老人の話をしても、誰も信じてはくれなかった。それどころか僕は火事による影響で精神の一部に支障をきたしてしまったのではないかとさえ疑われた。
やがて僕はそのことを他人には語らなくなった。
そんな過去があった為、僕が「消防隊員になる」と言い出した時、両親はトランプをひっくり返したらジョーカーが出て来た、という風にぱたっとこちらを向いて顔色を変えた。
僕は内心に潜む想いをひた隠しにしながら、過去の事はもう何も関係ないのだ、僕は純粋に自分が救われた経験から、他の誰かを救いたいと思ったのだと言う事で訝しがる両親を説得し、もちろん多大な努力を払って、消防隊員になる事ができた。
自分で言うのもなんだが、僕は非常に優秀な消防隊員になった。ひとたび事件が発生すれば、誰よりも先に装備を整え、火事場に着けば誰よりも優先して火の中に飛び込んだ。
今にして思えば、やはり僕の精神はあの老人と出会った事で既に深く病に犯されていたのかも知れない。なぜならあの日からずっと、僕は老人の言葉の続きを聞きたくて仕方が無かったのだ。
そんな気持ちのせいか、僕は炎に包まれるような状況になると、だんだんと心が落ち着いて行くようになった。最近になってそのことがよく分かって来たのだ。僕が炎の中に居る事はとても自然な事だと。しかしその自覚は僕の社会的非常識性をあまりにも明確にしてしまう為、誰にも言う事ができずに、人知れず炎の中で悶々としてしまう事もあるのだ。
いっその事、人目をはばからず狂ってしまえたら、どんなに楽かと思う事もある。
あのとき現れた小人のように、炎の中で嬉々として踊り舞い、背の高い老人を礼賛するのだ。
だが一度でもそんな事をしてしまえば、僕はその後異常者として扱われ、火事場に出る事はおろか、精神病院の病室から出られなくなるはめになるだろう。
このように、僕は子供の頃たった一度だけ見た風景に延々と悩み、心を奪われてしまっている。
老人の口から語られる言葉を聞きたくて、ずっとずっと待ち続けている。
やはり既に僕はおかしくなってしまったのだろうか?
自分では、もう分からなくなってしまっているのだ。
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