辿ってきた糸は、突然、ぷつりと途絶えてしまった。
その先には何もなく、可能性のかけらさえ感じられない程だった。
僕はそこまで歩いてきた道を振り返り、伸び切った糸の航跡を眺めた。
糸はヨレヨレと時に大きく時に小さく蛇行しながらずっと向こうまで伸びていた。
僕はきまぐれに家の近所を散歩していた時にその糸を見つけたのだ。
今手にしている糸の先端とは別のもう片方の別の端っこを初めに拾い上げた時、その糸は道の少し先で角を右に折れ曲がり、何やら僕を誘うような雰囲気が合ったのだ。おまけに色は赤い。
運命の赤い糸ってヤツですか?
暇を持て余していた僕はそんなしょうもない発想にひとりにんまりとしながらその糸を手に取った。とは言えもちろん、本気でそんな事は思わない。こんな道ばたにそんなものが落ちているわけがない。何かのネタに、と冗談半分で僕はその糸を手繰ったのだ。
だけど軽い気持ちでしばらく引っ張ってみたその赤い糸が意外にどこまでも続くので、僕はその場で引っ張るのをやめて、糸を持ちながらその糸が伸びている方向へと歩き始めた。その先がどうなっているのか確かめたくなったのだ。
住宅街の角を曲がると糸は少し先でまた左へ角を曲がっていて、その先端は見える兆しさえなかった。僕が糸を手に次の角まで歩いていくと、家の近所のおばちゃんが反対側から歩いてきて「こんにちは」と僕に挨拶をしていった。
「こんにちは」
と僕も挨拶を返したが、おばちゃんは妙に楽しそうな目で僕の手元の辺りを見ていた。
僕は曲がり角の手前の電柱に取り付けられていた反射鏡に映る自分の姿を見上げた。
赤い糸を手に歩いている自分。
僕はそのときこんな事して何になるんだと言う、至極まともな考えも浮かんだのだが、やはりここは赤い糸の先端を巡るというイベント気分に乗っかって歩き続ける事にした。
角を曲がるとばったりと、クラスメートのルミと鉢合わせになった。
「よう」とルミは言った。僕らの間ではこれが普通の挨拶だ。
「よう」と僕も返した。
「何してんの? ミヤモト、こんなところで」
「いや、別に」
僕はこっそり手にしていた糸を地面に放した。
「ルミこそ、どしたの? 家こっちだっけ?」
「あたしはアヤカんちに行ってCD借りる約束してんだ。アヤカとミヤモト、近所だよね」
「ああ。スッゲエ近いよ」
「ミヤモト、今ヒマ?」
「え、なんで?」
「時間あったらミヤモトも来なよ」
一瞬、僕は躊躇した。
アヤカは確かに家が近くて幼なじみでもあるが、最近のアヤカは何だか急に大人っぽくなって、少し化粧もし始めたせいか、学校中の男子の注目を集めるくらいに綺麗になっていたのだ。そうなると逆に、何だか今までと同じようには話せなくなり、アヤカの前に立ってしまうと緊張して上手く口が回らず、額に汗すら掻くようになったため、僕はそんな自分が嫌で、アヤカとなるべく顔を合わせないようになっていたのだ。
だからと言ってアヤカが嫌いになった訳ではない。出来る事なら以前のように仲良く話したい。ルミの提案は願ってもないものだった。
僕の躊躇をどうとったものか、ルミは
「ま、無理にとは言わないけど。じゃ、あたし行くね」
と言って僕の答えも聞かずに行ってしまった。
僕は反射鏡に映るルミの後ろ姿を眺め、その姿が見えなくなると、さっき地面に放した赤い糸を手に取った。
「俺も行くよ」
なぜすぐにそう言えなかったのだろう?
僕はしばらく赤い糸を追いながら、ルミの言葉の向こうに見えるアヤカの姿に心を奪われていた。アヤカと話をしたかった。昔のように屈託なくお互い笑顔ではしゃぎたかった。でも僕らはいつしか一緒には居られなくなった。アヤカの回りにはいつも大勢の人が集まるようになり、僕はその空間が苦手だった。
どうして彼女をこんなに遠くに感じるようになってしまったのだろう?
何だか疑問ばかりが頭に浮かぶ。
糸は住宅街を抜け、駅前の繁華街の端っこを通り、線路沿いの道にでた。
しばらく進むとまだまだ伸びる赤い糸のすぐ脇に、絡まってほどけなくなって放置された釣り糸の固まりのような別の赤い糸の残骸が捨てられていた。
それはまさに「捨てられた」と言う表現がぴったりと当てはまる感じで無造作にその場に転がっていた。電車が走ると、固まりは風に揺られてぷるぷると震えた。糸の端っこがどこなのかも全く分からないような状態だった。
固まりは別の風に揺らされて、駅前の方へと転がっていった。
糸が線路沿いの道を離れるまで、僕は同じような赤いもじゃもじゃの固まりを他にも何個か見かけた。それらはその場でぷるぷると震えたり、どこかへ転がっていったりしていた。僕の辿っていた糸は、やがて線路を横切って長い直線が続く道へと出た。
そして、二三百メートルも進んだ頃だっただろうか、糸は突然、途絶えたのだ。
そのあまりの唐突さに僕はしばらく次に何をするべきか思いつく事が出来なかった。
手元に赤い糸の固まりが残っただけだった。
やはり誰かのいたずらだったのだろうか?
手の中の糸の固まりを見てみると、それは線路沿いにたくさん転がっていた他の固まりとそっくりだった。
まあ、ちょっとした暇つぶしにはなったよな。
ケータイの着信音が鳴る。ルミだ。
「よう」
「よう」
「ミヤモト、ヒマなんでしょ?」
「何だよ、いきなり」
「今から来なよ」
「え?」
「いいから、すぐ。早く。ダッシュで」
「おい」
「アヤカが話があるんだってさ」
「話って、な、何」
「自分で聞きなよ。ほら、電話切って、ダッシュ!」
僕がそうする前に電話は切れた。
僕は手の中に丸まった赤い糸の固まりを両手でぎゅうぎゅうに揉み込んで、ぐっちゃぐっちゃにかき混ぜて、握ってボール状にした。そしてその赤い球を空中に蹴り上げて、アヤカの家までダッシュした。
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