2007年11月15日木曜日

左利きの恋

 子供の頃、僕は左利きになりたかった。
 世の中は右利きにあふれていて、左利きと言うとそれは僕の耳にいつも特別な響きを感じさせた。
 もちろんそんな憧れは小学生や中学の初めの頃の事であって、自分が右利きであるという現実を受け入れてからはそのような思いは徐々に薄れていったのだ。

 それでも時々思う事がある。
 もし僕が左利きであったなら。
 彼女とつなぐ手は逆になっていたかも知れない。
 デートの時の位置取りは左右が入れ違っていたかも知れない。
 それがどんな変化や違いを生み出すのか、あるいはそんな事が人間の交友関係に及ぼす影響など皆無に近いものなのか、今の僕に知る術はない。

 僕は学生の頃の事を思い出す。
 キャンパスの中で人目を気にせずに彼女と手をつないで歩いていたキンモクセイの並木道のすっきりとした直線を思い浮かべる。
 僕は右手で彼女の左手と繋がっていて、必要以上に彼女の腕が僕の体に密着するように腕をねじって二人の間の物理的な距離を埋めようとしていた。
 試験の問題やサークル内での人間関係やバイト先の上司に対する愚痴やその他もろもろのとりとめのない話を僕らはいつまでも言い合っていた。
 あのとき彼女は話し難くはなかっただろうか。
 僕の左側に移りたがった彼女の言葉に一度は応えてみたものの、やっぱり勝手が悪いと言って僕はすぐに元のように彼女の左側に移動した。
 今になって思うのだ。
 もし僕が左利きであったなら。
 僕も彼女の右側にいる事が心地よく居られたのだったら。
 僕らの会話はすれ違う事なく今でもずっと一緒にいられたのかも知れない。
 そんな感傷をもし今の君に伝えたら、あっけらかんと笑い飛ばして
「そんな事ある訳ないじゃない」
 と言われてしまいそうな気がするけれど、そんな些細な事が僕らの人生を大きく変えてしまう事は十分に考えられると言う気も同時にするのだ。

 僕らが別れた原因はもっと他にあるには違いないのだけれど、やはり考えてしまう。
 もし、僕が左利きであったなら、と。

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