ミサイルに意志はない。
ただプログラムに従って、ターゲットを目指すだけだ。
誰もがそう思っている。
彼は格納庫の奥でじっとその時を待っている。
ひとたび尻に炎がつけば、それはもう彼にとって死へのカウントダウンの始まりだ。
空を飛び、目標に辿り着いた瞬間、爆発する。
その姿を見る者には、陣営の違いというだけで全く別の印象を浮かばせる。
ある側にとっては英雄であり、別の側にとっては死神にもなる。
ミサイルの歴史は古い。
その名前はローマ時代のラテン語に由来している。
元々は主に飛び道具を意味する言葉だった。
少し調べればすぐに分かることだが、今の時代にミサイルと言えば、その一言では片付けられない程沢山の種類があることが分かる。
目標への距離、戦場の地理的条件、戦術的な用途、それらすべての要素を満たし、なお技術の違いなどもある。
ミサイルそのもののシンプルさに比べ、その中身、その周辺は非常に複雑な状況に置かれることが常である。
彼らは人間世界に起きる複雑怪奇な利害と主義の絡み合いの中で生み出された。
そこには皮肉な人間の願いがあると思う。
もっとこの世界がシンプルなものであってほしいと言う、切実な願い。
それはあまりにミサイルに対して同情的な意見だと言われるかも知れない。
彼らを作り上げたのは破壊主義的なマッドサイエンティストに違いないのだと言われれば、僕もそうかも知れないと思う。
例えそうだとしても、この世に生まれ出た彼らの姿、その役割はあまりにも簡潔にまとめられていて、そのシンプルさが僕に何かを訴えかけてくるのだ。
こうは思えないだろうか。
ミサイルが一発撃たれるたびに、それを撃った人間の中には皮肉な矛盾が蓄積されて行く。
シンプルに破壊する為に撃ち、自分の内側に多くの複雑さを取り込んでしまう。
簡潔な結果を求め、その行動によって我々は手に追えない問題を増やしてしまう。
ミサイルは、矛盾の華だ。
彼らはきっと泣いている。
撃つのはやめよう。
僕はやっぱり平和な世界が好きだ。
どんなに甘いと言われようとも。
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