2007年11月23日金曜日

猫がいた

 完全に一人になってみたくて、無人島へやって来た。
 そこは今は誰も住んではいないけれど、過去には地下炭坑の労働者の世帯などで賑わいを見せたこともある、人の歴史の跡が残っている場所だった。
 僕はそこにキャンプを張って、ふた晩過ごす予定でいた。
 港の近くにテントをつくり、生活のためのこぢんまりとしたベースを整えると、僕はカメラと手帳と水筒をもって島の中央部へと足を伸ばした。
 地図によればここは東京の千代田区程の大きさしかない。
 その島のほとんど真ん中に今は枯れ果てた炭坑の入り口があるはずだった。
 僕はまずそこへ行き、その閉鎖された入り口を写真に撮った。
 出来れば入り口を塞いでいる鍵を外して中の様子を見たいものだと思ったけれど、それは本来の目的ではないし時間も労力もかかりそうだったので、僕は早々にその考えを諦めた。
 扉にはいかにも頑丈そうな南京錠がかけられていて、僕はその鍵穴の中から誰かに見られているような錯覚を受けたので、鍵穴に思い切りレンズを寄せて、穴の中を覗き込むような気持ちでシャッターを切った。
 また歩いて、むかし人の集落があった区域へと入った。
 そこには四階建ての公団住宅のような意外にもしっかりとした造りの住居棟がいくつか並んでいて、まだ炭坑が生きていた頃のこの場所の賑わいを感じることが出来た。
 僕はその中の一つに足を踏み入れた。
 廃墟の中に入って行くという行為は、僕に特別な感慨を与えるものだ。どこか来る者を拒むような、それでいて誘っているような、底の見えない空虚への侵入。わずかに早くなる呼吸。
 一階と二階の部屋の玄関は鍵がかかっていて入れなかった。そこに住んでいた人たちは、この島を出て行きつつも、また戻ってくることを考えていたのかも知れない。
 ようやく三階まで登って鍵のかかっていない部屋の中に入ることが出来た。
 南向きの窓からよく陽が差し込んで、空気そのものは温かい温度を感じさせてくれるものの、物音一つとて無いその場所はやはり寂しかった。
 スニーカーの裏で畳を踏みしめる音がやけに耳に残る。
 僕はそうしている間も盛んにカメラのシャッターを切り続けていた。
 少しでも僕の目に留まった者はことごとく僕の手元でデジタルの画像データとして記録されて行く。
 それらはすべて、既に失われてしまったものたちの群像だった。目に映るすべての物事はずっと以前に魂を亡くしていて、それらが自ら何かを語りかけてくることは無い。ただ、それが寄り集まって一つの風景となった時、その姿は僕に向かって、圧倒的な物量で何かを語りかけてくるようだった。
 ただ人が住んでいない、というだけでこんなにも世界は様相を変えてしまうのだ。
 僕は部屋の窓から街を見下ろしてみた。
 何があった後なのか、道の真ん中にガラスの破片や木材の瓦礫が散らばっていて、通れなくなっている道が見えた。その道は港と反対側の方向に向かって伸びていた。
 僕は部屋を出て、その道の先に何があるかと思って住宅棟の裏側から回り込んで島の反対側に出た。そこには小さな砂浜があってまわりを岩場に囲まれていた。
 僕は砂の上に寝転んで空を写した。
 空はどこも同じだと言うけれど、僕にはそうは思えなかった。
 物音がして振り返ると、僕が来た道の入り口の辺りで一匹の猫が僕を見ていた。
 その存在に虚をつかれた。
 猫がいた。目が合った。
 僕がニャアと言うと、猫は一瞬ぴくっと体を震わせ、しっぽを立てた。
 その姿は何故か僕の胸を熱くした。

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