2007年9月12日水曜日

片方のベル

目覚まし時計が鳴っている。
顔を枕に押し付けた格好のまま、目覚ましを止めようと手を伸ばしたが、いつもの場所に時計が無い。
私は仕方なく顔を上げた。こういう時は体に染み付いた習慣というものが心底恨めしくなる。
今日は休日なのだ。
首をのばして辺りを見回してみたが、目に見える範囲にこの恨めしい音の主が見当たらない。
目覚ましのベルは鳴り続けている。
私は平日の疲れが蓄積した、活発さのかけらも無い体を引きずり、文字通りベッドの上を這いずって辺りの床やサイドテーブルの棚の中、ベッドの下を見てみたが、やはり時計は無い。
私があまりの五月蝿さに頭を抱えた時、ふと音は鳴り止んだ。
思わずため息が出た。

私はベッドから抜け出し、リビングを通ってバスルームへ向かった。
リビングの壁にかけてあるアンティーク調の時計の針は朝の6時10分を示している。
いつもなら私が出勤の準備に忙しい時間帯だ。
こうして起きてすぐシャワーを浴びようとするのも、身に付いた習慣の一部なのかも知れない。
いくら体は重くても、自然と足は決まった道筋を歩く。
バスルームの前で服を脱ぎ、扉を開き、バスルームの中へ入る。
シャワーの蛇口をひねり、熱めのお湯を頭からかぶる。
私が目を閉じて水温の熱さに身を委ねていると、どうやら寝室の方でまた目覚ましのベルが鳴り始めた。
いったい何処で鳴っているのだ?
目覚まし時計のベルは、こうやって壁を隔てていても神経に障るように作られているらしい。
まあ、さっきよりはましだ。
私はいつものように十分に体が温まるのを待ってから、シャワーを止めた。
まだ鳴っている。
バスルームの扉を開き、タオルで体を拭き始めると、はたと音が止んだ。
私は新しい服を身に着け、今度はリビングを通らずにまっすぐにベッドルームへと向かった。
いつもとは違うルートだ。
私がベッドルームのドアに手をかけると、リン、と短い音が鳴った。
それは間違いなく目覚まし時計のベルの音だったが、その時のような短い間隔でベルが鳴ったのは、初めてだった。
私のドアを開けようとした手は一度空中で彷徨い、それから改めて扉を開いた。
何故だかその動作は少し乱暴なものになった。
ベッドルームの中へ入ると同時にリビングへ続くもう一つのドアの方向へ向かって、床を転がる金属音の用なものが聞こえた。
私が急いでそちらへ向かうと、ベランダへつながる窓の外へ向かって、破片のようなものがころころ床を転がっている。
私は空き巣に入られたのだと思い、慌ててベランダに出てあちこち見回してみたが、何も見つからない。
私の部屋に残されたのは何かの部品らしい金属の破片やねじだった。
その中には目覚まし時計のベル部分の片方もあった。
私は首を傾げ乍らも盗まれたものは無いか、部屋の中を隅々まで確認したが、目覚まし時計が見つからないというだけだった。
私はその後警察を呼んで家中を見てもらったが、誰かが侵入した痕跡は見つからないと言う。

この一連の出来事について、私は今ではこう思っている。
きっとあの目覚まし時計は休日の朝に仕事をさせられた事に腹を立てて、脱出を計り、まんまと成功したのだ。
ただ、私がいつもとは違うルートを使って家の中を歩いた為に、慌てて壁にぶつかるか何かして、大事なベル部分を現場に残してしまったのだ。
今頃彼は傷だらけで路頭に迷っているかも知れない。
もし、街路に佇む片ベルの目覚まし時計を見かけたら、それは私の使っていた目覚まし時計かもしれない。

0 件のコメント: