男は雨の中を傘も差さずに歩いていた。
手に持った傘を開かずに、子供のように体の横でぶんぶんと振り回しているのだ。
男はとても背が低かったから、そうしていると遠目には本当の小学生のように見えた。
実際の年齢は全然違って、小学校を卒業した時のことなど、あまりにも古い記憶でうまく思い出せないぐらいだった。
男は羽織っていたコートのフードを深々とかぶっていたから、やはりレインコートを着て気まぐれに雨を楽しんでいる小学生にしか見えない。
小学生ではないにしろ、男が雨を楽しんでいるのは本当だった。
男は傘以外の荷物を持っていないので、とても身軽だ。
男は自分の背が低いことをよく理解している。若いころは自分の背の低さにコンプレックスを持った時期もあったが、今となってはそんな気おくれした心持ちなどみじんもない。
(こういう視界の悪い日にこんな恰好で外を歩いていたら、小学生にしか見えないだろうな)
とひそかに思っている。
最近では家に居ると、妻や息子夫婦がやたらと自分を邪魔者扱いして、まるで面白くない。
息子は見事に自分の血をひいて、背が低い。まだ背の低さにコンプレックスを持っていて、そんなものはなんのその、といった超然とした態度はとれないらしい。
(あれだけ気立てのいい嫁を貰っといて、今更何が不満だというのか。背が低いのは親父のせいだなどと、どうでもいいことでまだ文句を言っている。まったくあいつめ、全然成長してくれない)
男はぶつぶつと文句を口にする。いつしか彼は人気のない公園の中を歩いている。ここなら考え事を口に出してしまったところで誰も聞いている人間などいないし、たまたま人が近くを通りかかっても、雨が大概の事は流し去ってしまう。
彼がこんな散歩をするのは今に始まったことではない。もう、それこそ彼が小学生の時から何かの拍子にやってしまう習慣めいたことなのである。大学への進学や会社の転勤などで住む土地が変わったりしても、彼はいつも大きな公園を探してその近くに住むようにしていた。
そんな訳で、雨の公園は、彼にとって密かな癒しの場になっていった。男にとって傘は差すものではなく振り回して楽しむものだし、雨は気分を塞ぐものじゃなくて雑念と雑音を一緒くたに流し去ってくれるものだ。公園は地面が土だから、そうやって流れていったものが大地に吸収されて、生態系を巡り巡っていくうちに水蒸気となって、空中で紫外線に焼かれて昇華していくのだ。だから歩くのは出来るだけアスファルトの上じゃない方が良い。
小学生の振りをした、初老の域に入ったばかりの男は、そのような事を考えながら、雨の中で散歩を続けるのだった。
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