2007年9月22日土曜日

休日の朝

せっかくの休日に、世界の多様性の事を考える。
色んな人間が生きていて、それぞれ違う生活がある。
しかしその想像はあまりうまく続ける事は出来なかった。
一人暮らしの身としては、片付けなければならない家事が、山のように溜まっている。
カゴの上にうずたかく積み上げられた洗濯物や、シンクの中に重ねられた食器類や、小さなゴミや埃がちらほらと見え始めた床が、僕の手で奇麗に処理なり整理なりされるのを待っているのだ。
まあ、これも多様性の一つの言えるのかも知れない。男の一人暮らしの典型的な休日の朝を迎え、どこの家も行っている事をただ淡々とこなす事だって、この世界には必要な事だ。
空はやたらと晴れ上がっていて、秋の気配すら感じられない。ひょっとしたらこのまま永遠に夏が続いてしまうかも知れない。暖冬冷夏なんて事を言っていたのがほんの数年前なのに、今はもう温暖化一色だ。ありえない話じゃない。
世の中なんだってあり得てしまうのだ。
同じ事が繰り返される日常に嫌気がさしているとしたら、それは小さな変化で簡単に崩れさせる事が出来る。出来ないと思っているのなら、それは心のどこかで現状を崩したくないと言うだけなのだ。
洗濯物を干しながら、だらだらとそんな事を考える。
僕は現状に満足しているだろうか?
ある意味ではそうだし、別の意味では全然足りていないと思う。
僕と言う個人の中にも、そんな風に多様性はあった。
結局難しい事を考えようとすると、概念的な所からはあまりうまく物事が考えられない。
それは僕個人の思考能力の特性のような事が関係しているのかも知れないけれど、何かを思いつくのは何も考えていない時の方が多いような気がする。
部屋の全ての窓を開けると、気持ちのいい風が西から東へ流れ出す。その流れに沿って部屋の中に箒をかける。ひとしきり表面の埃を掃き出すと、今度は掃除機をかけて箒の毛先だけでは掬い取れない小さな塵を吸い取る。最後に雑巾がけをして、床の掃除を終わらせる。窓から風が吹き込んでいるので、また新しいゴミや埃が部屋の中に入って来ているはずだが、それは考えても仕方が無い。
部屋の隅々まで空気が入れ替わったのを感じてから、玄関側の窓を閉め、今度はシンクの中の食器を片付ける。殆ど一週間分の僕の食生活の名残だ。
スポンジを使ってしつこくコップの底をこそぎ取るようにするのが僕のやり方だ。きれいにならないと気が済まないから、ただ食器を洗うと言っても、それなりに時間をかける事になる。
それが終わると、ようやく人心地ついた気分になる。体のどこかに残っていた平日の疲れがゴミと一緒に部屋の外に飛んで行ったり、下水道に流れ去っていってしまったのかも知れない。
そして一杯のコーヒーを煎れる。洗い物が新しく増えた訳だが、これもまあ仕方が無い。
去って行ったものがまた訪れ、飛び散ったものがまた積みあげられる。
そうして世界が流れている事を知る。僕もその中に居る事を、僕は感じる。

そんな豊かな休日の朝の事を想像しながら、中々ベッドから起き上がる事が出来ないのです。

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