私はバスを待っている間、小説の単行本を手にして時間をつぶす。それはもう決まり事のようにいつも繰り返している事だ。
ここは1時間に一本しかバスの通らない田舎で、一本逃すと大変な遅れが出てしまうので、いつも早めにバス停に到着して、残りの時間をそうやって過ごす事にしているのだ。
今日は珍しくバス停に先客が居た。とても若く、きれいな女性で、裾の長いスカートに、袖の短い白いシャツを着ていた。
彼女は僕がいつもするのと同じようにバス停のベンチの端に腰掛けて、ぱらりと単行本のページをめくった。
私はなぜか遠慮がちな気分になって、彼女とは反対側のベンチの端に座ってバスを待った。
もうそろそろかな、と言う頃に、遠くで何かが破裂したような音が響いた。そしてそれは一度では終わらず、何度も連続して聞こえて来た。私は音のする方を見たが、道が丘の向こうへ伸びるのが見えるだけで、他には何の変化もない。
丘を越えて姿を現したバスが、その音の主である事が分かるのに、それほど時間はかからなかった。
バスは、ボカン、パーンと奇妙な破裂音を鳴らしながら緩慢なスピードで進み、気の遠くなるような加速度でバス停の前に止まった。スピードが遅くなっても破裂音は最後まで鳴り続けていた。
プシューッと気圧の抜ける音がして、入り口のドアが開いた。
私が本を閉じて乗り込もうとすると、まだ足を踏み入れる前に運転手が声をかけて来た。
「待って下さい。乗るのは一人だけです」
私は顔を上げた。運転手は乗客の隙間からこちらを覗き込むようにしていた。
「なんだって?」
私は聞き返した。
「乗れるのは一人だけです。見て下さい。もう満員なんですよ」
確かに、バスの中を見ると立っている乗客達がぎゅうぎゅう詰めになってバスの中で押し合いへし合いしているのが分かった。運転手はその隙間からこちらを見ていたのだ。
「でも次のバスは1時間後になってしまう。なんとか乗れないの」
「無理ですよ。タクシーでも呼んでくれませんか」
「何だって今日に限ってこんなに混んでるんだ」
「さあ、ちょっと分かりませんけど、今日はどこも人でいっぱいなんですよ。こっちが聞きたいくらいです。何か、事故とか事件とか、ニュースで言ってませんか?」
「聞いてないな。とにかく私は乗りますよ」
そう言って私は強引にバスの中に入ろうとしたが、人の体が入り口の所までこぼれそうになっていて、その柔らかい塊はどんなに押しても柔軟なゴムのように僕を外へ押し返した。私が一旦仕切り直して外に出ると、
「ほら、言わんこっちゃない」
と運転手が困った顔をした。
すると先に乗った女性が降りて来て、
「タクシーを呼びますから折半にしませんか」
と言った。
突然の申し出で、私は一瞬何を答えればいいのか分からなくなってしまったが、その隙をつくようにバスはドアを閉め、大きな破裂音を響かせながら走り去ってしまった。
元のバス停に取り残された私たちは、しばらくバスの背中を見送るしか無かった。
「どこまで?」と彼女が私に聞いた。
「私は終点まで行きます」
「偶然。私も終点まで乗るつもりだったから、かえってこれで良かったんだわ。それにあの中、なんだか気持ち悪かったし」
すると丘の向こうから甲高いエンジン音が聞こえた。時を置かずに一台のタクシーがバス停の前で急停車した。
「バス、乗れなかっただろ」
タクシーの運転手は助手席の窓を開けて話しかけて来た。
「そうなんです。いつもより人が多くて。何かあったんですか?」
「いや、俺も分かんねえけどとにかく後ろついていったら乗れない奴が出てくると思って後を付いて行ってるんだ。もちろん乗るだろ?」
もちろん我々に異論がある訳は無く、二人でタクシーに乗り込んだ。タクシーの中で、私はゆったりとした時間をいつもよりも更にゆったりと楽しむ事が出来た。
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