2007年10月5日金曜日

空想人格

僕は、映画や、漫画や、小説なんかを読んで、あまりに感動したりすると、もうほとんどそのストーリーの中の世界に入り込んでしまって抜け出す事が出来なくなってしまう事がある。それは、夢を見ているような感覚なんてものではなく、きわめて実体的な体験として僕の身に降り掛かってくるのだ。

カンフー映画を見た後で人ごみの中を歩くと、知らず知らずのうちに足元のステップが効率的になっていたりする事はまあよくありがちな話だけれど、天変地異が地球を襲うような話の後では、ガラス張りのビルがいつ砕けて落ちてくるのかと警戒し、いざガラスの破片が落ちてきた時はどう動いてそれをかわすのが良いかをずっと計算しているし、幾多の障害を越えて成就される恋愛ものの小説を読んだ後で、付き合っている彼女との間に起こりうる最悪の事態を幾通りも思い浮かべて「そんな事はさせるものか」と人知れず奥歯をかみ殺したりしているのだ。

はっきり行ってそんな空想は取り越し苦労以外の何物でもなく、自分でも辟易してしまっているのだが、どうする事も出来ない。
自分でも困っているのだ。自分は普通の生活をしているつもりが、いつの間にか別の世界の住人になっていて、有りもしない、起こりよう筈もない事に思考能力のかなりの部分を奪われている。
だけど、やはり、そうは言っても、人の考えつく事など、実際に我々の身に降り掛かってくる数多くの苦難や試練に比べたら可愛いものだと思える事が、世の中には数えきれない程転がっている。とも思えるのだ。
だから、あらゆる事態を想定して生きる事は決して悪い事ではないし、自らのみを守る手段ともなり得るはずだ。

それに、そんな僕の性質が無益な行動を生むばかりではない時もあるのだ。とても質のいい恋愛映画を見た後では、普段の自分からは想像もできないようなセリフ回しで彼女を感動させて、キスの嵐を受けた事もあったりする。

僕がそういう問題を持ち合わせた人間なのだという事を彼女に打ち明けた時、彼女は
「それは、言ってみれば数に制限のない多重人格者みたいなものかしらね」
と言った。言われてみれば確かにそう言えるかも知れない。そんな表現は自分には思いつかなかった。
「でも、私平気よ。数が無限なら偏りがなくていいじゃない。横で見てたら楽しそうだし」
僕はそんな彼女の言葉に支えられて、毎日なるだけ多くの作品を読んだり見たり聞いたりするようにしているのだ。

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