その男の胸に深く深く刻まれた傷痕を見て、女は目を離せなくなり、話を聞かない訳にはいかなくなった。
「この傷か?昔ちょっともめてな…」
男はそれ以上、あまり語りたがろうとはしなかった。
その態度を見て、女の興味はさらにかき立てられ、ハスキーな声で甘く囁いた。
「聞きたいわ」
「あまり面白い話じゃない」
「秘密なの?」
「まあ、そんな訳じゃないが…」
女は食い下がり、「教えてくれたら、すごい事してあげる」と言った。
「そんな技を持ってるのか」と男が言うと、
「一生忘れられないような事よ」と女は答えた。
男は空中にむかってひとつ息を吐き、「まあいいか」と言った。
「この傷は俺のガキに付けられたんだ」
「ガキって、あなたの息子ってこと?」
「ああ」
「なんでまた……」
「まあ、事情は色々さ」
「その子の母親を泣かしたんでしょう」
「そうかもしれんね」
「でも、それだけ深い傷を負って、よく生きてられたわね」
「おれはしぶといからな」
男はそう言って、にやりと笑った。
男は一度話し出すと饒舌になったようだ。
「しかしまあ俺の息子もさすがに俺の血を引いていてしつこいんだ」
「追いかけられてるの?」
「多分な。今も近くにいる気がしてならん」
「危ないじゃない」
「だいじょうぶさ。奴が俺を見た所で誰だか判るまい」
「どういうこと?」
「この顔も、名前も偽物だってことだ。全て変えた。俺と、俺の過去を結びつけるものは全て捨てた」
女は目を輝かせて男に迫った。
「本当の名前を教えてよ」
「ダメだ」
「いいことしてあげるから」
そう言って女は何事かを男の耳元に囁いた。
男はニヤニヤと頬の弛みを隠せなくなって、「しかたねえな」とつぶやいて女の耳元に何事かを囁き返した。
女は満足そうに頷いて、軽く男に寄り添った。
「じゃあ、約束だぞ」
「二度と忘れられない夜になるわよ」
女は時間をかけて磨き上げた様々な技を駆使して男を快楽の渦へと沈めていった。
男が我を忘れて女の導きに身を委ねているのを見て、女はにやりと笑った。
その怪しい笑顔は不思議と男のそれとよく似ていた。
そして女は心の内で密かに思った。
(お母さん、とうとう見つけたよ。今度こそ敵を取るからね……)
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