その影は、常に僕の少し前に居て、僕を誘うようにしていた。
僕はふらふらと影の後をついてゆく。
酩酊したような気分のままで、一歩、また一歩と進むうちに、体が前のめりになって行く。
体はだんだん傾きを増して、地面が近づいてくる。
ひょっとしたら、このまま影と同化して、僕は地表に貼り付いてしまうのかも知れない。
今にも顔が地面にひっつきそうになった時、影は子供のような甲高い声で囁くように話しかけて来た。
「そんなに近づかなくてもいいんだよ」
僕はその声をぼんやりと聞いているだけだった。なんだか実感が無い。ここにこうしている、という自分自身の存在感が希薄なのだ。
「あんまりこっち側に来ちゃ行けないよ」
(こっち側?)
「心が離れてるんだよ、きっと」
(君が誘ってたんじゃないのか)
「僕はただの反映だからね。君を誘ったのは君自身だ」
(これは…夢?)
「まあ、似たようなものかもしれない。早く目をさました方がいいんじゃないか?」
(どうして?)
「戻れなくなるよ」
(どこに?)
「日の当たる世界にさ」
(ここは、違う?)
「僕と話しているくらいだから。ここは影の世界なんだよ」
いつの間にか、僕の周りの風景は変わっていた。全体的に薄暗く、息苦しさを感じる。なぜこんなところに居るのかと思ったが、じゃあ今まで居たのはどんなところだったのかと考えてみても、何故か思い出す事が出来なかった。それは失われた遠い過去の記憶のように靄がかかって姿が見えない。
(僕はどうしてここに来たんだ?僕を戻してくれ)
「さっきも言ったけど、君が、僕との対話を求めて来たんだ。戻るなら、君が戻る気にならないと」
(だから、戻してくれと言ってるじゃないか)
「それじゃダメだ」
(どうして?)
「自分で考えるんだ。どうしてダメなのか、分からないと出られないよ」
僕はどうやらかなり質の悪い夢を見ているらしい。ここから抜け出すには目を覚ますのが一番だ。そう思って僕は目を閉じて、
(起きろ、起きろ!)
と強く念じた。すると僕の意識はじわじわと何かに引きずられるように流動を始め、渦に飲み込まれるようにある時点から一気に一つの方向に流れ出るような感覚を受けた。
僕は目を覚ました。
しかし、辺りを見回すとそこはまるで見覚えの無い風景が広がっていた。薄暗い、灰色の空。
「やあ、こっちに来ちゃったのか」
声に振り向くと、そこには影が立っていた。
「今まで、僕の方から君がどう見えるか、考えてみた事があるかい?」
影が僕を見下ろしている。
「実は僕もここに来たのは初めてなんだ。なかなか面白いもんだね」
どうやら僕はこの見知らぬ世界で、僕の影の影として地面に貼り付いてしまったらしい。
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