「私は女王様じゃありません!」
ボンテージファッションのメガネっ子が駅の前でひざまづいた男を一喝している。
少なくともその辺りを歩いていた人々の半数は、その光景を一種のプレイだと想像したに違いない。
彼女の服装は上から下まで黒づくめで、膝まで伸びたブーツが黒い光沢を放っている。彼女の手にはワインレッドと黒のツートンカラーの携帯電話が握られていて、ミニスカートの丈もずいぶん短い。
さくらはいつの頃からかそんな服装が気に入って、おしゃれを始めたころからその趣味は一貫している。しかし彼女のファッションの趣味がある種の男性のこころを深く揺さぶるたぐいのものであるとは、初めは全く知らなかった。ただ単に、カッコイイかもと思っていたのだ。
しかし、高校生になってから自分のセンスにもだいぶ磨きがかかってきたんじゃないかと思っていたら、やたらと腰の引くい男が時々街で声をかけてくるようになった。
どちらかというと厳しく躾けられてきた方だ。父は厳格で、門限には厳しい。例え街に遊びに出ても、夜の七時には家に帰っていなくてはならない。自分は仕事で毎日遅く帰ってくるくせに、まるで定時連絡みたいに門限の時刻には母親に確認の電話を入れてくる。実は一度だけ時間を忘れて門限を守れなかったことがあったが、その時は母がうまくごまかしてくれた。母はさくらの大事な味方だ。桜が門限を守っているのは母を困らせたくないから、というところが大きい。
とにかく、そんな感じで夜遊びなんかしたことないし、まだ男も知らないが、人並みの興味ぐらいは十分にある。結婚するまでバージンを保つなんて考えたこともない。ナンパされるにしても何でこんなおどおどした態度の男ばっかり寄ってくるのだというのは秘かな不満だった。そしてその原因がどうやら自分の服の好みにあるらしいと、少しずつ理解し始めていた。
そんなある日、冬が訪れ太陽が早々に星の影に隠れたころ、その男はさくらの目の前に現れた。さくらが新橋の駅前で友達のユミを待っていると、ふとさくらの前に立ち止まった男がいた。男は背が高く、バリッとスーツを着こなした紳士に見えた。さくらはさっと男を観察し、自分の父親よりいくらか下の歳ではないかと考えた。見た感じは大いに彼女の好みに合っている。むしろ理想に近い。もうちょっと若かったら、いや、年齢なんかどうでもいいかも…と彼女は密かに勝手に恋の芽生えに期待した。
その紳士は次の瞬間彼女の前に膝まづき、
「私を踏んでください!」
とうるんだ瞳を彼女に向けた。
そしてまたその次の瞬間、さくらはブーツのかかとで男を踏んだ。
なぜそうしてしまったのか、さくらには解らない。しかし、男のスーツにくっきりとヒールの跡が残るほど、しっかりと踏んでしまった。男は奇妙な声を上げた。さくらは気味が悪くなって今度はわき腹をけり上げて逃げ出した。背後で男が何か言っているようだったが、さくらは構わず逃げた。
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