電車の窓から見える風景は次々と右から左へ塗り替えられ、定まらない。それはいつも流れているのに、変わり映えのしない日常の一部でもある。やがて列車は長くゆるやかなカーブにさしかかり、先へ延びる線路の曲線の彼方に、高層ビルの建ち並ぶ都心の一角が新しい風景としてマイの視界に入った。
いくつもの列車がその街を目指して走り、辿り着いては人々を降ろして行く様を思い浮かべて、マイはふとため息をついた。このまま銀河鉄道みたいにこの列車が空へ向かって旅立って行ったら、ちょっとは面白いかもしれない。そして同じ列車に乗り合わせた他の乗客達と一緒に果て無き宇宙の旅に出て、星々をわたり時を超え、苦難の果てに真実の愛を発見するのだ。マイは窓の中の風景に、宇宙へ伸びゆく一直線の線路を思い描いた。
そんな事を考えているうちに、列車は街の中心に深く進入し、やがて駅のホームに横付けされた。この街の駅は路線の終着地で、乗り過ごしてしまった乗客以外はみんなここで降りて、代わりに反対方向へ進む人たちが車内になだれ込む。マイは体の余分な力を抜いて、人波の流れに身を任せてしまう。
改札を抜け、駅ビルの一階から三階までをくり抜いたような吹き抜けをくぐり、マイは地上に降り立った。
ああ太陽よ、お前はいつも眩しいね。
掌を君に透かして見れば、自分の手に赤い血が流れているのが分かる。朝だと言うのに陽はすでに高い。
もう夏が近いのだ。これからもっと眩しくて、暑っ苦しい風が吹く。首にタオルでも巻いて歩くか。
お昼にはもう老若男女が入り乱れ、走る隙間も無い程に人、人、人、で埋まるこの繁華街も、朝のこの時間は上を向いて歩いてたって誰かとぶつからないで済む。
「マイさん!」
後から、どうやら走って追いついてきた、このガキっぽい顔の少年は、今年マイと同じ会社に入社したばかりの新人社員、健太郎。かなり背の低いマイと比べて、健太郎は背が高い。そして線が細い。きっとこいつは小学生の頃、あだ名がもやしだったはずだ、とマイは心中毒を吐く。小学生みたいな顔のくせにその身長は許せない、とも思う。
「マイさん、歩くの速いっすね」
なんだろう、どうも出会った初めから、マイは健太郎の吐く言葉に理不尽な苛立ちを感じてしまう。
「わたし足が短いから、速く歩かないと人並みのスピードで進めないのよ」
「何言ってるんですか。身長考えたら全然短くないですよ」
気を遣っているようで無神経なセリフだ。別にコンプレックスを持っている訳ではないが、自分の身長の低さが特に好きと言う訳でもない。他人を気遣う振りをして結局傷つけてしまう、質の悪いのがたまにいるけど、実際身近にいると蹴りたくなってくる。
そんな訳で、マイは健太郎の太ももにローキックを入れた。でも身長差のせいでマイのフォームはミドルキックのそれになった。それでもキックは正確に健太郎の腿を打った。
「痛え!何するんですか」
「うるさい!朝の気分が台無しになった報いだ」
「乱暴すぎますよー。僕が何したって言うんですか」
「知るか!」
マイはもう健太郎には目もくれず歩き出した。なんでこんなにイラつくのだろう。原因はもう判っている。あいつは弟に似過ぎているのだ。あの身長の高さ以外は。
仕事をやってる時間なんか、あっという間に過ぎていく。朝が来て、訳の分からないまま時に乗り、世間の荒波の中で右に左に流されて、気が付けば夕日は遠い過去の出来事。再び街を歩く頃にはとっぷりと日は暮れて、空は銀河への入り口を開いている。
まっすぐ駅には向かわない。可能な限りくねくねと入り組んだ街の路地をあっちとこっちつないで彷徨う。表通りの店にはまるで興味を持てないから、ひっそりと、闇に隠れたような店を探す。見つからなければそれでいい。いい店があれば気分次第で乗り込んでいく。女一人で居酒屋巡りだ。いつしかそれは帰り道の習慣となっていた。細い路地でひかえめな明かりの中をふらふらと歩いていると、弟の魂に会える気がしてしまう。
健太郎の顔が思い浮かんだ。
なんでお前が出てくる。やめてくれ。記憶の中で、薄れ始めた面影をどうしてお前が思い出させる。お前はあの子じゃないのに。
うすぼんやりと灯籠のような灯りの続く路地の中、マイは空の闇を見上げた。そこにある銀河鉄道を夢見て。
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