影は歩調を緩める事無く歩き続けた。
僕はその動きに合わせて自然と動く事になるから、体力も労力も使わない。不思議な事に、そう言う状態でも僕は次第に疲れを覚えて来た。
(何か変だな)
「どうした?」
(ちょっと疲れた。僕が動いてる訳じゃないのに、変だな)
「そうか。でも少し頑張ってくれ。さっきみたいな陰険な影が周りに増えてるんだ」
(危険なのか)
「みんな少しずつ僕らに対しての反応が強くなっている。急ごう」
僕は影の動きに身を任せながら、視界の中でスクロールして行く灰色の空を眺めた。確かに、さっきよりも他の影が視界に入ってくる確率が高い。見られている、という感じもする。僕はまた目と口を閉ざした。
しばらくすると、僕の影は歩みを止めた。
「目を開けていいよ」
僕は素直に影の言葉に従った。
(だいじょうぶなの?)
「大きな建物の陰へ入った。ここなら他の影は近づいてこない」
(疲れがひどくなっているみたいだ。なぜなんだろう)
「それは僕が動いたせいさ。結構無理したから」
(君も疲れたんじゃないのか)
「いいや。僕は疲れない。僕の疲れは君が背負うんだ」
(そういうものなの?)
「ここではね」
(厳しいね)
「帰りたくなってきただろう?」
(この世界も、なかなか楽じゃないってことかな)
「どこへ行ったって同じさ」
(すっきりしないね)
「戻る気になったかい?」
(ううーん…)
「何が嫌なんだ。君を待っている人もいるんだぞ」
(誰も待ってなんかいないよ。僕は一人だ)
「そんな風に考えるからこんなところに来ちゃうんだ。君がいくらそう思っていてもどこかに人の縁ってものはある。いいか?僕がこんな事を話せるのは、本当は君にも分かっているってことなんだ。悲しみに負けちゃダメだ。早く帰れ」
(僕は悲しくてここに来たのかな)
「思い出せないのか」
(よくわからないよ)
「記憶が失われ始めたのかも知れない」
(困ったね)
「困るなんてものじゃない。あんまりひどくなると戻れなくなるぞ」
(そうなったらここに住むしかないな)
「馬鹿な事を。さっきすれ違った影みたいになりたいのか。記憶は光だ。光を失えば君は消えて、僕の存在も消えてなくなるんだ」
(なんでそうなるんだ)
「頼むから黙って言う事を聞いてくれ。君はまだ死んじゃいけない」
(そう言われると、ちょっと胸に響くものがあるね。理由が分からないけど)
「それで良いんだ。理由なんか考えるな」
僕は記憶どころが何かを考える事すら難しくなって来ていたが、それを影に伝える事が出来なかった。
0 件のコメント:
コメントを投稿